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zoom RSS こういうのを「姑息」っていうんだ。@「君が代」替え歌流布

<<   作成日時 : 2006/05/29 20:53   >>

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さて、ドイツのワールドカップまでわずかとなりました。本大会が始まると、そこかしこで聞こえてくるのが「国歌」であります。今日はこの話題。

「君が代」替え歌流布 ネット上「慰安婦」主題?

しかし、考えた人には心底呆れますね。要は、「俺は決して君が代を歌っているのではない、英語の歌を歌っているのだ」という自分の体面だけを取り繕っているだけのことなんでしょう。おそらくは、この詞を考えた人は(考えたくないけど)俺と同じ日本人なんでしょう。

少なくとも、国旗や国歌に対して非礼な態度を取ると言うことは、相手国に対する最大限の侮辱とされていますし、また、自国の国旗や国歌に誇りを持つことは、国際的に常識的なことです。この歌詞を作った人はそういった感覚が欠如しているんでしょうね。

もちろん、国歌の替え歌なんぞ、世界を見渡せば数多くあるわけで、それについて俺がどうこう言うつもりはありません。ただその替え歌は、全てその国の母国語で作られていて、なおかつユーモアのあるものです。

しかし、この替え歌にはそういったユーモアのセンスの一片も見受けられません。ただあるのは鬱屈とした、何とも形容しがたい思想のみ。

俺とて、アホじゃないから「個人の思想の自由」があることぐらい分かります。おそらくこの歌は学校の入学式や卒業式などの学校行事で歌うことを想定して作られたものなんでしょう、そしてそれを、脳味噌お花畑な教員が、何も知らない児童や生徒に教えていくのでしょう。教員にそれぞれ思うところがあるのはいいでしょう、しかしそれを児童や生徒に教え込むというのは、それは最早「教育」ではなく「洗脳」です。

児童や生徒にとって、教員というのは絶対的な存在です。その教員の言うことを聞かなければ、その子の学校生活や、進路に対して深刻な影響を与える存在です。となれば、従うのが道理になります。こういう点も、「姑息」と言わざるを得ない点でしょう。

それにしても、こういうアホをみていて常に思うのは、スポーツの国際大会、至近の例で言えばWBCやトリノ・オリンピック、それこそまもなく開幕するワールドカップなどで翩翻と日の丸が打ち振られ、朗々と君が代が歌われていることに対して、何も言ってこないということです。こういった、日本国中が注目している時こそ、国旗や国歌について堂々と反対すればいいのに。

そういう時には、すっかり押し黙り、一緒になって日の丸を振りかざし、君が代を聞き入っているんでしょうね。(六本木方面のTV局とか。)

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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
 こういう替え歌を歌わざるを得ない状況に追い込んだ権力者の行為も糾弾せねばならないでしょう。
 国歌を歌わないと処罰される国って外国にあるのでしょうか。
うさこ
2006/06/09 13:17

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