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zoom RSS 極私的死生観

<<   作成日時 : 2006/05/16 22:35   >>

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注意:この記事は、あるブログに対する俺なりの考え方を返事として返しているものです。

俺は、自分でも驚くほどに冷静に「死」というものを考え、個人的な結論に達しています。

それは、「ヒトが生命体である以上、望まなくとも必ずいつか死に行くものである」というもの。

ヒトがどれだけ努力しようとも、不老長寿はあり得ませんし、天変地異などには無力です。さらに言えば、最近ではそういったものだけでなく、突然謂われもなく殺されることもあります。普通に道路を歩いているだけだったのにいきなり後ろからクルマにひかれる、こんな事は日常茶飯事過ぎて、日々のニュースにすらなりません。

そう考えると、「死」というものは本来、恐ろしいほど俺たちの身近にあるものだと思います。それが、いつしか「死」というものが身の回りから遠ざかっていきました。かく申す俺だって、目の前で人が死に行くところを見たことがありません。「死」が身の回りから遠ざかり、それと共に「死」の持っている「負の力」が現実的でない現在において、眼前に唐突として突きつけられる「死」を認識できず、その「負の力」を過大評価してしまいがちです。何となれば、「死」の持つ「負の力」に対する耐性がないのですから。

ただし、ここまでの「死」は、所謂一般的な「死」です。これが「自殺」となると話は違ってきます。

理由は様々でしょう。ここまで偉そうに言ってきた俺にだって「いっそ死んじまおうか」なんて思ったことも多々あります。それでも何とか踏みとどまって今生きています。

それは単純に俺が「死」の持っている「負の力」を認識しているから。「負の力」は、近親者に限らず、俺に関わりのある多くの人、特に友人に作用します。何でこんな事が分かるか。それは、俺自身が旧友を失っているから。

その「死」は唐突でした。その知らせを聞いたとき、その旧友とはあまり付き合いがなかったのですけど、それでも俺に少なからず衝撃を与えました。その旧友は、交通事故でなくなったのですが、今でもその事故現場に差し掛かるたびに彼の顔が脳裏によみがえってきます。あれから十年以上経過しているのに。

これほどまでに強い「負の力」をどうして俺が近親者や友人に与えられましょう。それだったら、生きて、「ま〜たあの野郎、何か面倒くさいこと言いだしやがった」と思われる方がマシです。これで迷惑を掛けるかもしれませんけど。

今、マナー違反といわれる行為が増えています。ファミレスで大騒ぎする奴、ところ構わず(メールだろうが通話だろうが)携帯電話を使う奴。こういった周りの迷惑を顧みない行動が多い中、「自殺」ってのは俺の考え得る中で最も迷惑な行為だと思います。

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内 容 ニックネーム/日時
中とろはここに注意するつもりだった。
BlogPetの中とろ
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2006/05/19 12:28

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