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zoom RSS 「いただきます」について考える。

<<   作成日時 : 2006/01/28 01:34   >>

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「ブログ」という、速報性が重視されるもので、3日も前のことをお話しするのは、正直に言ってどうかと思うんですけど、考えた末のことですので、おつきあい下さい。

いつものように、ネットをちくちくっとしていると、こんな記事(グーグルキャッシュはこちら)を見つけたんです。

要は、「給食費を払っている以上、食べる前に「いただきます」と言わせるな、とある小学校に通うこの母親が申し入れた。」ということなんです。

これ見て、しばし唖然としてしまいました。「世の中にはこんな事を言い出す人がいるんだぁ。」と。同時に、「俺はどういった気持ちで「いただきます」って言っているかなぁ。」とも思いました。

確かに、調理人に対する感謝の礼として「いただきます。」ということもあります。しかしそれ以上に、目の前にある食材、言い換えれば「命」に対して「いただきます。」と言っているんではないかとも思うんです。

人に限らず生き物、特に動物は、何かしら他の生き物を糧としなければ生きていくことは出来ません。草食獣なら草を、肉食獣なら他の動物を、という感じに。その公理には、たとえ万物の霊長を自任する人類だって逆らうことは出来ません。これを、キリスト教では「原罪」といい、仏教では「業」といいます。

つまり、「いただきます」という表現には、言葉足らずの面があると俺は思います。それを補うとすれば、こうなるのではないでしょうか。「何の因果か、俺の前で食べ物となったあなたの命をいただきます」と。

その後、いただいた食事を作ってくれた調理人に対する礼として「ごちそうさま」と言って、席を立つ。これで食事が終わる。そうすることで、調理人も喜び、同時に糧となった他の命も浮かばれるってものだと思うんです。

今回取り上げた「いただきます」や「ごちそうさま」に限らず、どうみても最近、そういったちょっとした一言がないように思います。「こんにちは」とか、「ありがとう」、「さようなら」なんかも、まるで聞かなくなったように思います。

もし、全てのことに対する意識の低下が、こういったことにつながっているとしたら、それはそれで悲しいことだと思いますけど。

そもそも「いただきます」を言うか言わないかについて考えるなんて内容でブログ一本分の記事になることそのものがおかしいんですけどね。

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内 容 ニックネーム/日時
きょうは、お話しされたみたい…
BlogPetの中とろ
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2006/02/03 12:39

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